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こんにちはミライです。

今回のテーマは『NIKE”AIR”MAX』。

世界で多くの人々に愛用されているシューズです。

当ブログでもUVERworldのTAKUYA∞さんが着用されいるシューズを紹介した記事で

いくつものNIKE”AIR”MAXを着用されている事が分かりました。

そんなアーティストにも愛用されるシューズのAIR MAXとはそもそもなんなのか?

という当たり前に存在していてあまり気にしなかったかも知れないそんな当たり前の事を今回調べてみると、そこには面白い歴史があり、未だに多くの人に愛される理由が詰まっていました。

今回はそんなAIR MAXの歴史を遡って、未だに愛される理由をお伝えできればなと思います。

NIKE”AIR”MAXとは?

NIKE”AIR”MAX 1987年モデル

NIKEの”AIR”MAXがこの世に誕生したのは1987年

上記の画像のシューズが初代NIKE”AIR”MAX。

今現在2020年、33年も前のシューズとは思えない現代でも通用するデザイン

そんなNIKE”AIR”MAXとはそもそもなんなのか?

NIKEから製造、販売されているランニングシューズAIRMAX。

NIKE(ナイキ)はアメリカ・オレゴン州に本社を置くスニーカーやスポーツウェアなどのスポーツ関連商品を扱う世界的企業。設立は1968年。

そんなNIKEのAIRMAXを知るためには、その歴史を知らなければなりませんので、いくつかのポイントに分けてご紹介していきます。

まずはこのデザイナーをご紹介します。

ポイント1 デザイナー

ティンカー・ハットフィールド氏

まず最初のポイントととして知っておきたいのがこの方。

名前を『ティンカー・ハットフィールド』

1952年4月30日(年齢68)

彼こそが未だに愛されているAIRMAXのデザインを作った張本人。

他にもNIKEと言えば”ジョーダンシリーズ”彼はジョーダンのデザインナーも務めていたとの事。

そんなティンカーさんがNIKEに残した大きな功績と言えば

『ビジブルエア』

初見で聞いても何の事?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、大方なにを差しているのか予想は付きますよね?

そうです。あのシューズの下部、ミッドソールにあるあの丸い窓のような部分です。

NIKE”AIR”MAXの大きな特徴の一つですよね?

あれを『ビジブルエア』と呼び、それを作ったのがティンカーさん。

そのビジブルエアが出来るまでの発想がまた面白いんです。

ポイント2 ビジブルエア

当時のNIKEのシューズにはエアバッグが搭載されいました。

これは靴を着用し走る際には体重が掛かります

その体重をエアバッグが軽減し走りやすく、更に靴へのダメージも軽減できると言う物。

ただ問題だったのが、エアバッグで吸収した体重による圧力を逃がす場所が無い事。

その為走破性(あまり良くない道を走り切る事)が不安定になる事が懸念されていたそうです。

そんな問題に着目していたのがティンカーさん。

彼は試験的にシューズのミッドソールに大きな窓を開ける事を考案しました。

それは彼がパリを訪れた際に、ある物を見てその着想を得たそうです。

そのある物というのが、

【ポンピドゥー国立芸術文化センター】

1969年に、近代芸術の愛好家であったジョルジュ・ポンピドゥー大統領が、首都パリの中心部に造形芸術他、デザイン、音楽、映画関連の施設及び図書館を含む近現代芸術拠点を設ける構想を発表し、1977年に開館。

ティンカーさんはこの『ポンピドゥーセンター』の建物を見て

「外から中の構造が見えている。」という着想を得る。

これによって『ビジブルエア』は誕生しました。

このビジブルエアによって、しっかりと適度な圧が解放されるようになり試験的に行った窓を作るデザインは大成功。

この成功により、従来のエアバッグより多量のエアが充填できるようなりました

それによってAIRMAXに搭載されているエアバッグは

『マキシマムエア』『マックスエア』と呼ばれているそうです。

ポイント3 登場後の反響

そんな斬新なアイデアによって生まれたシューズに大きな窓がある斬新なシューズは当時世の中に放たれた時どのような反響があったのか気になりますよね?

今に至るその理由のように、当時もその斬新なデザインに加え、その利便性、通気性によって瞬く間に人気のシューズとなり、市場に大きな影響を与えたと言われています。

NIKE”AIR”MAX 1が登場した1987年当初、世界はテクノロジーの進化が顕著に表れ出した頃という時代背景にマッチした進歩を感じさせるデザインのAIRMAXは当時画期的で機能の視覚化という”エア”機能が見える。これに心を打たれた若者も多かったそう。

その当時日本ではその存在はあまり知られていなかったようで、

その存在を世界に知らしめる事になったのは1991年に東京で行われた世界陸上。

その頃に日本のTVに映る選手村でのリポートに映るいろんな選手が履いているAIRMAXが様々な人の印象に残ったそうです。

ポイント4 カルチャーとの融合

当初はスポーツ選手に愛用されてきたAIRMAX。

その後現代のAIRMAXのようにどのように様々な人に愛用されるようになったのか?

それは”カルチャーとの融合”です。

新たな”何か”を模索していたカルチャー。

80年代後半には世はHIPHOPが浸透し始め、

時のヒットチャートを席巻する程にまで。

そして90年代に入ると、それまでスポーツウェアやランニングシューズは”スポーツとして”という概念が打ち砕かれ

スポーツとカルチャーの融合した時代でした。

そこからは本当に様々なユーザーに愛されるようになったAIRMAX。

日本国内では『エアマックス95』が爆発的大ヒットを記録。

発売当時、高額で取引されるのが当たり前で、通称”エアマックス狩り”という言葉もあり、

そのあまりの人気によって、エアマックス95を履いている人を複数の若者で襲って強奪する事件が多発しました。

その当時新品のエアマックスは約60万円で取引される事もあったそうで、偽造品なども横行する事態に。

スニーカー史上空前の大ヒットモデルと評されている程です。

まとめ

今回以上となります。

今現在も進化をし続けるエアマックス。

今尚愛される理由はやはり時代と歴史にあると思いました。

時のデザイナーティンカーさんの斬新な発想『ビジブルエア』

そこから生まれたNIKE”AIR”MAX。

その後スポーツ選手に愛され、アーティストに愛され、ファッションと融合し、誰もに愛される存在となったシューズ。

TAKUYA∞さんも、毎日のRUNで愛用し、ファッションとしても取り入れる。

それは歴史を紐解くことでTAKUYA∞さんにピッタリハマる要素や理由が分かったような気がします。

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